ローバー都市建築事務所の設計物件や、弊社代表の野村正樹が執筆するコラムなど、
雑誌や新聞に掲載されている情報のご紹介をいたします。
きょうと空間創生術 [262]
織田信長の弟でもあり、東京都千代田区有楽(ゆうらく)町の名前の由来ともなっている、織田有楽斎(うらくさい)(長益)。昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも物語終盤のキーパーソンとして、井上順が扮する織田有楽斎が、豊臣と徳川の懸け橋役を演じていたことは記憶に新しい。
東京の有楽町に対して、京都市の祇園町南側にも織田有楽斎ゆかりの「有楽(うらく)町」が存在する。八坂神社前、現在の漢字ミュージアム(元弥栄(やさか)中学校)南側、東松竹小路かいわい一帯が「有楽町」と呼ばれ、正式な住所表記はないものの、祇園町らしい石畳の美しい町並みが形成されている。
先日、そんな祇園・有楽町の一角にある「有楽稲荷大明神」の改修工事に携わる機会に恵まれた=写真。かつてこのあたり一帯には、織田有楽斎が再興したという、建仁寺の塔頭(たっちゅう)・正伝院とその墓所もあったという。1873(明治6)年、正伝院は廃寺となり現在の永源院に統合されることとなるが、墓はこの地に1962(昭和37)年までそのまま残されていた。間口2間(約3.6メートル)ほどの、この小さな有楽稲荷大明神の創建は、大正初期のことであると考えられている。
織田有楽斎といえば、茶の湯を利休に学んだ、利休十哲の一人であり、後の有楽流の祖となる茶人である。現在は愛知県犬山市に移築されている、日本三名席のひとつ、国宝茶室「如庵」も、もとはこの地で建造された。別名、「暦張りの席」ともいわれる、二畳半台目向切のしょうしゃな茶室は、利休の草庵茶室とは一線を画す「武家の節度」を感じさせる名席中の名席である。
今回の神社の改修工事を通じて、壮大な歴史ロマンに触れながら、貴重な体験をすることができた。