祖父母の家は、流行の言葉で言うと「京町屋」である。
と言っても、テレビでみるような立派な町屋ではない。
昭和初期に貸家として建てられた建物を、戦後に買い取ったらしい。間取りは、
道路から引戸を開けると半間ちょっと幅の通り庭があり、
道路に面してお店のスペースでもある8畳の和室。
続きに8畳の和室が、もう一つ。
この部屋で食事も団欒も就寝も全て行なった。
その奥に坪庭があり、と縁側を通って奥の間である8畳の和室という構成。
表の間の上階に立つことは出来ない階高の物置きスペースはあったが、ほぼ平屋の3Kという構成。
お風呂は無く、夏には行水(ぎょうずい)と言って、裏庭に風呂桶を置き、そこにお湯を溜めて体を洗った。
トイレも縁側は庇はあったが建具は入ってなかったので、風雨が強くなると濡れていく事になる。
用をたした後の手洗いは手水(ちょうず)があり、そこで手を洗った。
手水の水はバケツで水を汲んできて足していた記憶もある。
通り庭にあった台所は暗くて冬はすごく寒かったが、
畳の部屋は、確かに夏は暑く、冬も寒かったのだが、耐えられないことは無かったと思う。
夏は小さいながらも坪庭が効いていたのか、風が抜けていたし、木と土壁で出来た仕上げ材のお陰か、クーラー無しでも扇風機だけで十分に我慢できた。
縁側で昼寝するととても、気持ちよかった。
冬も、炬燵と石油ストーブで十分に暖かかったと思う。
という訳で、町屋での暮らしは、木の建具が風でガタガタと音を立てたり、隙間風がビューと入ってきたり、
土壁がボロボロと崩れてきたりと、よい所、悪い所は経験的によく知っている。
だから、町家から新しい家に建直したいという気持ちも分かるし、正直、町家は何でも残さなければいけないとも思わない。
が、新しい家の方がよいかというと・・・
来週につづく。
と言っても、テレビでみるような立派な町屋ではない。
昭和初期に貸家として建てられた建物を、戦後に買い取ったらしい。間取りは、
道路から引戸を開けると半間ちょっと幅の通り庭があり、
道路に面してお店のスペースでもある8畳の和室。
続きに8畳の和室が、もう一つ。
この部屋で食事も団欒も就寝も全て行なった。
その奥に坪庭があり、と縁側を通って奥の間である8畳の和室という構成。
表の間の上階に立つことは出来ない階高の物置きスペースはあったが、ほぼ平屋の3Kという構成。
お風呂は無く、夏には行水(ぎょうずい)と言って、裏庭に風呂桶を置き、そこにお湯を溜めて体を洗った。
トイレも縁側は庇はあったが建具は入ってなかったので、風雨が強くなると濡れていく事になる。
用をたした後の手洗いは手水(ちょうず)があり、そこで手を洗った。
手水の水はバケツで水を汲んできて足していた記憶もある。
通り庭にあった台所は暗くて冬はすごく寒かったが、
畳の部屋は、確かに夏は暑く、冬も寒かったのだが、耐えられないことは無かったと思う。
夏は小さいながらも坪庭が効いていたのか、風が抜けていたし、木と土壁で出来た仕上げ材のお陰か、クーラー無しでも扇風機だけで十分に我慢できた。
縁側で昼寝するととても、気持ちよかった。
冬も、炬燵と石油ストーブで十分に暖かかったと思う。
という訳で、町屋での暮らしは、木の建具が風でガタガタと音を立てたり、隙間風がビューと入ってきたり、
土壁がボロボロと崩れてきたりと、よい所、悪い所は経験的によく知っている。
だから、町家から新しい家に建直したいという気持ちも分かるし、正直、町家は何でも残さなければいけないとも思わない。
が、新しい家の方がよいかというと・・・
来週につづく。