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月別アーカイブ: 10月 2011
台風12号災害支援活動へ参加してきました
先日の土日のお休みを利用して、和歌山県新宮市熊野川町へ
ボランティアとしてお手伝いに行ってきました。
昨年の秋に、建築の仕事仲間たちと熊野古道へ訪れ、熊野を好きになり、
何か恩返しができないか?と思い、今回ボランティアとして参加させて頂きました。
実際、現地へ入ると、至る所で災害の爪跡が残っており、
被害の凄まじさを目の当たりにしました。
当初の予定では土曜日からの活動の予定だったのですが、
現地でのニーズもだんだんと無くなりつつあり、尚且つ週末と言うこともあり、
各地から色んなボランティア団体が集まり飽和状態との事で、
私が所属した団体の活動は日曜日のみとなりました。
この沢山ある道具たちは東北から援助して頂いた物だそうです。
私達が今回お手伝いさせて頂いたのは、一人暮らしの86歳のおじいちゃんのお家。
86歳とは思えないような元気なお方で、今回の台風で川が氾濫し、自宅も天井まで水が上がり、
相当な被害を受けたにも関わらず、一人で片付けをして今は何不自由なく住めているそう。
若い頃は800mもある山を30分で登り(!?)、炭鉱で仕事をし寝る間もなく働いてきたそう。
スーパーおじいちゃんです。
作業は自宅前のみかん畑と家庭菜園畑などの泥かきを4時間ほどかけ撤去させて頂きました。
クワを使っての作業で、腰は痛いし手にはマメができるし、暑いし・・・と、
苦労しましたが、完了報告でおじいちゃんに「上出来、上出来」と喜んでもらえた時の
嬉しさは今でも忘れません。
私たちは一時的なお手伝いにしか過ぎませんでしたが、
現地で毎日復興に向けて奮闘されている熊野川町の職員の方々は
台風発生時からほとんど休みを取っていないそうで、毎日あちこち駆け回って
尽力されている姿を拝見し、本当に頭が下がる思いでした。
今回、人生で初めてボランティアへ参加し現状を目の当たりにして、
自分の目で事実を確かめる事は本当に大切なことだと実感しました。
また、誰一人後ろ向きな人はいないと言うこと。
皆さんが一日でも早い復旧を目指して前向きに頑張っていらっしゃること。
人間は本当に強い生き物なんだな と感じてきました。
たった1日のお手伝いしか出来ませんでしたが、
またチャンスがあればお手伝いに行きたいと思いました。
最後に職員の方に「綺麗になった熊野へまた来て下さい」と、
言って頂き「また来よう」と思った熊野でした。
ボランティアとしてお手伝いに行ってきました。
昨年の秋に、建築の仕事仲間たちと熊野古道へ訪れ、熊野を好きになり、
何か恩返しができないか?と思い、今回ボランティアとして参加させて頂きました。
実際、現地へ入ると、至る所で災害の爪跡が残っており、
被害の凄まじさを目の当たりにしました。
当初の予定では土曜日からの活動の予定だったのですが、
現地でのニーズもだんだんと無くなりつつあり、尚且つ週末と言うこともあり、
各地から色んなボランティア団体が集まり飽和状態との事で、
私が所属した団体の活動は日曜日のみとなりました。
この沢山ある道具たちは東北から援助して頂いた物だそうです。
私達が今回お手伝いさせて頂いたのは、一人暮らしの86歳のおじいちゃんのお家。
86歳とは思えないような元気なお方で、今回の台風で川が氾濫し、自宅も天井まで水が上がり、
相当な被害を受けたにも関わらず、一人で片付けをして今は何不自由なく住めているそう。
若い頃は800mもある山を30分で登り(!?)、炭鉱で仕事をし寝る間もなく働いてきたそう。
スーパーおじいちゃんです。
作業は自宅前のみかん畑と家庭菜園畑などの泥かきを4時間ほどかけ撤去させて頂きました。
クワを使っての作業で、腰は痛いし手にはマメができるし、暑いし・・・と、
苦労しましたが、完了報告でおじいちゃんに「上出来、上出来」と喜んでもらえた時の
嬉しさは今でも忘れません。
私たちは一時的なお手伝いにしか過ぎませんでしたが、
現地で毎日復興に向けて奮闘されている熊野川町の職員の方々は
台風発生時からほとんど休みを取っていないそうで、毎日あちこち駆け回って
尽力されている姿を拝見し、本当に頭が下がる思いでした。
今回、人生で初めてボランティアへ参加し現状を目の当たりにして、
自分の目で事実を確かめる事は本当に大切なことだと実感しました。
また、誰一人後ろ向きな人はいないと言うこと。
皆さんが一日でも早い復旧を目指して前向きに頑張っていらっしゃること。
人間は本当に強い生き物なんだな と感じてきました。
たった1日のお手伝いしか出来ませんでしたが、
またチャンスがあればお手伝いに行きたいと思いました。
最後に職員の方に「綺麗になった熊野へまた来て下さい」と、
言って頂き「また来よう」と思った熊野でした。
あちこちでピンクリボン
最近、街中でピンクリボン活動を良く見かけます。
みなさん既にピンクリボン活動の内容はご存知かと思います。
乳がん啓発活動のシンボルですね♪
10月はピンクリボン活動月間らしく、
大阪では梅田のスカイビルの照明がピンクリボン。
京都では(かなり前ですが)京都タワーや京都市役所の
ライトアップがピンク色だったりしていました。
そして今朝、通勤途中で今出川通りを自転車で走行していると、
見慣れないピンク色のヤサカマークのタクシーが。
検索してみると、四つ葉タクシーでお馴染みのヤサカタクシーさんが
ピンク色のクローバー号を走らせているようです。
多分これも京都で数台しか走ってないんでしょうね♪
(今月末までだそうです~。)
なぜか四つ葉タクシーを良く見かけ、ピンクリボンタクシーも
2回も見かけて、一人で縁起が良い♪と、喜んでいますが、
残念ながらまだ一度も乗車した事がありません・・・。
私の家履歴 その2
祖父母の家は、流行の言葉で言うと「京町屋」である。
と言っても、テレビでみるような立派な町屋ではない。
昭和初期に貸家として建てられた建物を、戦後に買い取ったらしい。間取りは、
道路から引戸を開けると半間ちょっと幅の通り庭があり、
道路に面してお店のスペースでもある8畳の和室。
続きに8畳の和室が、もう一つ。
この部屋で食事も団欒も就寝も全て行なった。
その奥に坪庭があり、と縁側を通って奥の間である8畳の和室という構成。
表の間の上階に立つことは出来ない階高の物置きスペースはあったが、ほぼ平屋の3Kという構成。
お風呂は無く、夏には行水(ぎょうずい)と言って、裏庭に風呂桶を置き、そこにお湯を溜めて体を洗った。
トイレも縁側は庇はあったが建具は入ってなかったので、風雨が強くなると濡れていく事になる。
用をたした後の手洗いは手水(ちょうず)があり、そこで手を洗った。
手水の水はバケツで水を汲んできて足していた記憶もある。
通り庭にあった台所は暗くて冬はすごく寒かったが、
畳の部屋は、確かに夏は暑く、冬も寒かったのだが、耐えられないことは無かったと思う。
夏は小さいながらも坪庭が効いていたのか、風が抜けていたし、木と土壁で出来た仕上げ材のお陰か、クーラー無しでも扇風機だけで十分に我慢できた。
縁側で昼寝するととても、気持ちよかった。
冬も、炬燵と石油ストーブで十分に暖かかったと思う。
という訳で、町屋での暮らしは、木の建具が風でガタガタと音を立てたり、隙間風がビューと入ってきたり、
土壁がボロボロと崩れてきたりと、よい所、悪い所は経験的によく知っている。
だから、町家から新しい家に建直したいという気持ちも分かるし、正直、町家は何でも残さなければいけないとも思わない。
が、新しい家の方がよいかというと・・・
来週につづく。
と言っても、テレビでみるような立派な町屋ではない。
昭和初期に貸家として建てられた建物を、戦後に買い取ったらしい。間取りは、
道路から引戸を開けると半間ちょっと幅の通り庭があり、
道路に面してお店のスペースでもある8畳の和室。
続きに8畳の和室が、もう一つ。
この部屋で食事も団欒も就寝も全て行なった。
その奥に坪庭があり、と縁側を通って奥の間である8畳の和室という構成。
表の間の上階に立つことは出来ない階高の物置きスペースはあったが、ほぼ平屋の3Kという構成。
お風呂は無く、夏には行水(ぎょうずい)と言って、裏庭に風呂桶を置き、そこにお湯を溜めて体を洗った。
トイレも縁側は庇はあったが建具は入ってなかったので、風雨が強くなると濡れていく事になる。
用をたした後の手洗いは手水(ちょうず)があり、そこで手を洗った。
手水の水はバケツで水を汲んできて足していた記憶もある。
通り庭にあった台所は暗くて冬はすごく寒かったが、
畳の部屋は、確かに夏は暑く、冬も寒かったのだが、耐えられないことは無かったと思う。
夏は小さいながらも坪庭が効いていたのか、風が抜けていたし、木と土壁で出来た仕上げ材のお陰か、クーラー無しでも扇風機だけで十分に我慢できた。
縁側で昼寝するととても、気持ちよかった。
冬も、炬燵と石油ストーブで十分に暖かかったと思う。
という訳で、町屋での暮らしは、木の建具が風でガタガタと音を立てたり、隙間風がビューと入ってきたり、
土壁がボロボロと崩れてきたりと、よい所、悪い所は経験的によく知っている。
だから、町家から新しい家に建直したいという気持ちも分かるし、正直、町家は何でも残さなければいけないとも思わない。
が、新しい家の方がよいかというと・・・
来週につづく。
ハンドボール紹介
ロンドン五輪のアジア予選でハンドボール熱が上がってきました。
私が中高大とやってたんですけど、日本ではマイナーですね、TVではほとんど無いし。
欧州ではサッカーに次ぐ人気でプロリーグもあります。
この動画は欧州のものですが、メチャ激しいです。
時代祭りは順延
今日は、時代祭りの日ですが、今現在雨は降ってないですが、明日に順延になったようですね。
明日は晴れるようですので、気持ちよく色艶やかな時代行列が見れるでしょうね。
と言いながら、京都生まれですが、実は時代祭りを一度も見た事がありません。
祇園祭りは行くけど、時代祭は見た事がない。
そういう京都人は意外と多いハズです。
理由は色々と考えられます。
・毎年10月22日と日で決められているので、平日だと学校や仕事で行けない。
・休日にあたっても、若い時は部活や友達と遊んだりで忙しくて行けない。
・夜に屋台も出ないし友達と遊びに行けない。
・時代祭りってお祭りなんだ。仮装行列かと思っていた。
・そもそも、平安神宮って神社だったんだ。
etc色々とあります。
京都人の悪い癖で、明治以降は「新しい」から有り難くないという潜在意識があります。
なんで、平安遷都1100年祭の博覧会会場の跡地利用?した平安神宮とそのお祭りに、あまり興味を持てないのかもしれません。
私も、明日は日曜日だけど、お寺に行かなければならないんで、今年も時代祭には行けないんです・・・・
私の家履歴 その1
私が今まで暮らした「家」について、何回かに分けて書きたいと思う。
しばし、お付き合いをお願いします。
最初に暮らした家は、堀川蛸薬師を少し上がって1本入ったところにあるアパートで、おそらく鉄骨造かRC造の3階建て、風呂無しの2Kか2DKの間取りだったと思う。
そこで暮らしたのは4歳。幼稚園に入るまでだったので、残念ながら覚えている事は多くない。
岩上神社や三条商店街近くの公園、二条駅で遊んだ事は覚えているが、家の記憶として残っているのは、窓から堀川通を見ていた事、外廊下でビニールのプールや三輪車で遊んだ事、そして階段から転げ落ちた事くらいである。
このアパートは堀川通からちらりと見る事が出来たので、大きくなってからも前を通る度に確認していたのだが、何年か前に建替えられたようだ。
そのアパートと同時にもう一つの家でも暮らしていた。
西陣にある祖父母の家である。
そう書くと「?」な感じだが、京都の商売している家ではよくある事だが、昼間はお店のある親の実家に行き、夜になると若夫婦は別に借りた家に帰るというパターンだ。
私もそうであった。
糸屋を営んでいた祖父の商売を両親が手伝っていたので、朝食を食べた後に、アパートを出発し日中はお店でもある祖父母の家で過ごし、夕食後にまたアパートに戻るという生活だ。
なので、幼稚園も小学校も祖父母の家の学区の学校に通っていた。
明日につづく。
やってみたかったこと その2
やってみたかったその2は“イングリッシュマフィンを炭火で焼く”。
Pascoの超熟イングリッシュマフィンのCMを見てからやってみたい!
と、思い即実行♪
コレ、コレ~♪
友人夫婦の旦那さんが朝6時に起床し、朝から炭をおこしてくれました。
(ごちゃごちゃした)庭と朝日が昇る海を見ながらモーニングです。
外で食べると何でこんなに美味しいんでしょうか~。
大満足。
ハンドボールロンドン五輪予選
アジア予選で10/21に女子予選全勝同士の韓国と対戦。
勝てばで五輪確定、負ければ世界最終予選に持ち越し。
男子は10/23からアジア予選。
1988年のソウル五輪から出場していなんで、今回で決めて欲しいです。
やってみたかったこと その1
今回の帰省で友人とやってみたかったことが2つありました。
まずは一つめ。
“チーズフォンデュ”
しかも野外で。
形から入ろうと言う事で、Amazonにて
チーズフォンデュセットを事前に購入♪
体制は完璧!
・・・だったのですが、チーズが溶けない。
最終的にバーベキューの網の上で溶かしましたが、
ん~。味はイマイチ。コクが全然ない・・・。
ちゃんと白ワインも入れたのですが。。。
本場のスイスで食べたら美味しいんだろうなぁ~と、
夜の日本海バックに友人と話してました。
でもまぁ、
とりあえずやりたかったこと1つクリアで良しとします!
まずは一つめ。
“チーズフォンデュ”
しかも野外で。
形から入ろうと言う事で、Amazonにて
チーズフォンデュセットを事前に購入♪
体制は完璧!
・・・だったのですが、チーズが溶けない。
最終的にバーベキューの網の上で溶かしましたが、
ん~。味はイマイチ。コクが全然ない・・・。
ちゃんと白ワインも入れたのですが。。。
本場のスイスで食べたら美味しいんだろうなぁ~と、
夜の日本海バックに友人と話してました。
でもまぁ、
とりあえずやりたかったこと1つクリアで良しとします!