Published 〜メディア掲載情報〜

ローバー都市建築事務所の設計物件や、弊社代表の野村正樹が執筆するコラムなど、
雑誌や新聞に掲載されている情報のご紹介をいたします。

毎日新聞 2016年08月05日号

毎日新聞 2016年08月05日号
 

きょうと空間創生術 [236]

「焼けて口開く蛤御門」

毎日新聞 2016年08月05日号 京都御苑の西側中央に位置する通称「蛤御門(はまぐりごもん)」。典型的な高麗門型の構造を持つこの美しい筋鉄(すじがね)門は正式名称を「新在家御門」といい、京都御苑の外郭九門のひとつとして有名である。

 高麗門とは、正面両側の鏡柱と呼ばれる大きな柱とその奥にある控柱を一つの大きな屋根に収める薬医門を簡略化したもので、屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫がなされている。それぞれの4本の柱は直立しており、2本の鏡柱上に冠木を渡して小さな切り妻屋根をかぶせ、鏡柱と内側の控え柱の間にも小さな屋根をかぶせる形状となっている。さらに、門には鉄板で補強された頑丈な扉が取り付けられ、外敵の進入や攻撃を強固に防ぐ構造となっている。

 江戸時代の大火(宝永の大火(1708)もしくは天明の大火(1788))の際に滅多に開くことの無かったこの門がこの時だけは開いたため、火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとする説が有力であるが、近年の研究では江戸中期の元禄時代にまでその命名がさかのぼるという新説もある。

 江戸時代末期の元治元(1864)年の夏、この門の周辺で長州藩と御所の護衛に当たっていた会津・薩摩・桑名藩との間で武力衝突が起きる。この戦いが「禁門の変(蛤御門の変)」であり、京都市中においても約3万戸が焼失するという大戦火となった。今でも、門にはそのときの鉄砲の弾痕が残されている。門の奥に美しく延びる京都御苑の風景を眺めながら、152年前のそんな出来事に思いをはせたひとときであった。

 
(株)ローバー都市建築事務所


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