ローバー都市建築事務所の設計物件や、弊社代表の野村正樹が執筆するコラムなど、
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きょうと空間創生術 [225]
写真は、京都市下京区にある「膏薬辻子(こうやくのずし)」。四条通の新町通から西洞院間にあり、四条から綾小路通までを走るこの細い道の名称である。
一般的に、突き当たりのある袋小路の狭い道を「路地(ろうじ)」、このような通り抜け型の狭い道を「辻子(ずし)」あるいは「図子」と呼び分けていることが多い。この膏薬辻子は、ちょうど中ほどのあたりで、道がジグザグ型のかぎ型に曲がっているため、四条通から綾小路通が見通せない状態となっている、少し変わった辻子である。
そのユニークな街路の形状と京町家が美しく立ち並ぶ美しい風景には、以前より興味を持っていたのであるが、この「膏薬」という名の由来を、先日知る機会に恵まれた。
なにか釜座通や両替町のように、膏薬を売る店舗が、その昔、軒を連ねていた地域であるように考えていたのであるが、聞けば、この地域において、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が平安中期に、この地で道場を構え念仏修行を始めたのがその名の由来であるというのである。
天慶3(940)年に天慶の乱により戦死した平将門。その首が京都の町でさらされて以後、全国で天変地異が相次いだ。そのため、各地で平将門の霊を鎮めるため、首塚が築かれ、京都においても空也上人が道場の一角に塚を建てて供養をしたそうである。
この塚は現在辻子内にある神田明神であり、以降、空也供養の道場とよばれるようになった。そして、この空也供養の発音がなまり、細い道を意味する辻子と併せて「膏薬辻子」と呼ばれるようになったのである。
平安時代からある歴史ある辻子。新しい発見を重ねる度に、京都空間の歴史を身近に感じたひとときであった。