ローバー都市建築事務所の設計物件や、弊社代表の野村正樹が執筆するコラムなど、
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きょうと空間創生術 [200]
先日、京都市左京区岩倉幡枝にある「顕本法華宗総本山 妙満寺」を訪れる機会に恵まれた。開祖、日什(にちじゅう)上人(玄妙)が後円融天皇より「洛中弘法の綸旨(りんし)」をうけたまわり、康応元(1389)年、京都六条室町坊門の草庵に「妙塔山妙満寺」を建立し、根本道場としたのがその始まりとされている。
その後、妙満寺は応仁の乱など幾度かの兵火に遭い、寺域を転々とするが、天正11(1583)年、豊臣秀吉の命で寺町二条へ移されてからは、約400年間「寺町二条の妙満寺」として人々に親しまれていた。現在でも京都市役所西側に残る妙満寺前町の町名は当時の名残である。昭和43(1968)年、市内の都市化が進み、日ごとに増す喧噪(けんそう)と環境悪化を避けるため、現在の岩倉幡枝の地に「昭和の大遷堂」を挙行。以降、現在に至っている。
山門をくぐり抜けると、本堂の左手に大きな「仏舎利大塔」が建っている。「釈迦牟尼仏のご精神に帰れ」という妙満寺の教えの象徴として、昭和48(1973)年にインド・ブッダガヤ大塔をかたどって建立された日本初の建築物である。
インド・ブッダガヤ大塔は、紀元前200年ごろアショカ王が建立した、お釈迦さまが悟りを開かれた聖地に建つ高さ52メートルの大塔であり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
更には「鐘に恨みは数々ござる」で知られる紀州道成寺の霊話「安珍・清姫伝説」の鐘(道成寺の鐘)があり、毎年5月中旬、妙満寺では鐘供養が営まれている。他にも、本坊には、松永貞徳の造営による「雪月花」三名園のひとつ「雪の庭」もあり、この時期、比叡の峰を借景にした冠雪の眺望を美しく観賞することができる。
岩倉幡枝の地にある「総本山妙満寺」。その壮大な歴史ロマンにふれることのできた素敵な冬のひとときであった。