祇園新橋 白川に残る町並み
前回の「京都空間創生術188」でもご紹介した、「祇園新橋伝統的建造物保存地区」。京都市東山区新橋通に面して質の高い洗練された町家が立ち並 び、白川の美しい流れや石畳の風情あふれる風景ともに、かつての茶屋の町並みが保存さ れている地域である。
現在、京都市において、白川沿いにある一軒の京町家の利活用事業者が公募されている。白川にかかる小さな橋を渡った向こう側に位置する、一軒の京町家は以前は、「天ぷら料理店」として使用されていた伝統的建造物である=写真。昨年6月に篤志家より京町家の寄贈を受けた京都市が、祇園新橋地域にふさわしい利活用を行う事業者を、公募型プロポーザル方式で今回応募しているものである。「祇園新橋の町並みと風情を守る」「祇園新橋の新たな魅力を創る」「京都の文化を世界に発信する」を基本コンセプトとして、歴史都市・京都にふさわしい施設のありかたの提案を募集している。
平安中期頃より、大和大路通を中心に八坂神社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が徐々に形成されるようになり、繁栄を続けてきた祇園町界隈。1712(正徳2)年には江戸幕府より正式に茶屋営業の許可を受けることとなり、元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町の「祇園内六町」が新たに開発されることとなった。江戸時代末期から明治時代初期にかけては、約500軒もの茶屋があり、最盛期を迎えることとなる。 戦後、多くの茶屋が取り壊され、歓楽街のビルとなったのであるが、この祇園新橋地域は、平成の現在も当時の美しいたたずまいを残している。
今回を機に、京都全体の今後のありかたを考えるきっかけとなればと思い、注目している公募型プロポーザルのひとつである。
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