400年を迎えた高瀬川とその源流
先日、京都市中京区木屋町通二条下ルにある「高瀬川二条苑」を訪れる機会に恵まれた。現在は、日本料理レストラン「がんこ高瀬川二条苑」として、その保存・ 活用が図られている、この敷地一帯は、もとは、高瀬川開削者である豪商・角倉了以がその源流に建設した別邸跡にある日本庭園である。慶長19 (1614)年 に開削され、今年でちょうど節目の400年を迎えることとなる「高瀬川」。開削から大正9(1920)年までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられ、近世京都の経済発展を支え続けてきた、重要な運河であった。
角倉了以別邸の後、明治時代になると、元勲・山県有朋が別荘「第二無隣庵」をこの敷地に建設した。以降、第三代日本銀行総裁・川田小一郎、総理大臣・阿 部信行らの所有をへながら、現在は大岩邸として伝わり、「がんこ高瀬川二条 苑」が営業されている。
庭園内には、長寿のシンボルとされる樹齢250年の紅梅や、江戸時代初期に小堀遠州により作られた茶庭が現存し、その歴史の深さを感じさせている。現在の作庭は、第二無隣庵が建設されたときの、七代目小川治兵衛による改修であり、自然の景観と躍動的な水の流れを巧みにくみこんだ、自然主義的な近代日本庭 園となっている=写真。
「第二無隣庵」の館内は、床の間や欄間・縁側の良さをそのまま活用しながら、うまく改修されており、庭園を眺めることのできる大小多数の宴会場が整備さ れている。また、この時期には鴨川沿いに納涼川床も用意され、京の夏の風物詩を手軽に楽しむこともできる。
鴨川から水の流れを取り入れ、「二条苑」を通り、木屋町通へとその流れを通じる「高瀬川」。400年の時をへてもなお、市民に愛される空間がここには存在している。
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