毎日新聞 2009年12月4日号


きょうと空間創生術きょうと空間創生術
 

思い出の一条戻り橋きょうと空間創生術

写真は、上京区にある「一条戻り橋」。堀川と一条通が交差する場所に架かる長さ6メートルほどの小さな橋は、私自身、学生時代をこの橋の界わいで暮らしたこともある、思い出の橋でもある。

現在の橋は1995年に架け直され、20年前は幅も現在のものより細く、歩行者専用橋が別に架けられていたのを覚えている。

この橋の歴史は古く、794年の平安京造営のときに一条大路と、堀川が交差するところに設けられ、現在まで同じ場所にある貴重な橋でもある。

建造当初は「土御門橋」と呼ばれていたこの「戻り橋」。平安時代に当時の文章博士・三善清行が亡くなったとき、父の死を聞いた子の浄蔵が熊野から帰ると、葬列がちょうど橋の上を通っていた。浄蔵はひつぎにすがって泣き悲しみ、神仏に祈願したところ、不思議にも父は一時蘇生して、父子が抱き合ったということである。以来この橋は「戻り橋」と呼ばれるようになる。

大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治したことで知られる源頼光の四天王の一人「渡辺綱」がこの橋で美しい女性にやつした鬼女に出会い、その片腕を切り落としたという言い伝えもある。また、戦時中、出征する兵士は無事故郷に戻ることを祈って、この橋を渡ったとも言われている。

堀川の川も戻り橋も建物も、様変わりをしてしまってはいるが、懐かしさがよみがえる。景色は違えど、それぞれの思い出の”ふるさと”とはそういったものなのかもしれない。

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