毎日新聞 2009年11月20日号


きょうと空間創生術きょうと空間創生術
 

受け継がれる文化と建築きょうと空間創生術

写真は、上京区の京都御苑西側、烏丸下立売西北角に位置する「平安女学院大学有栖館」正門。烏丸通に面した、豪壮で趣のあるこの銅板葺(ふ)きの平唐門(唐門の平入りのもの)は、1912年に当時、三井銀行総長・社長の三井高保私邸の表門として建造したものを、52年に移築したものである。李白の詩から字をとって「青天門」と名付けられたこの門は、左右の塀とともに大正時代の門建築としては貴重なものである。
奥に見えるしだれ桜は、もとは醍醐寺三宝院内にあった桜を移植したもので、太閤秀吉が「醍醐の宴」をした当時の桜の孫にあたるといわれている。

正門の奥にある、約119坪もある書院造りの立派な屋敷は、もとは「有栖川宮家」の邸宅として使用されていた建物を1891(明治24)年に移築したものであり、一昨年までは京都地方裁判所長宿舎として使用されてきた。「玄関棟」「住居棟」「客間棟」の三つの棟から構成される「有栖川宮旧邸」は西側に中庭を囲むように配置され、幕末から大正にかけての公家屋敷や高級官僚官舎の様相を現在に伝えている。

もとは、葵祭りの出発地点として有名な京都御所建礼門(南門)前にあった有栖川宮邸は、1873(明治6)年、大日本帝国京都裁判所仮庁舎として使用されることとなり、その後現在地に移築され、京都地方裁判所長宿舎を経て、現在、平安女学院がそのバトンを引き継いでいる。時を超え、時代とともに受け継がれる文化と建築。私たちの大切な財産として後世に伝えていきたいものである。

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