焼けずの寺の瓦塀
京都市上京区智恵光院五辻上る紋屋町にある日蓮門下京都十六本山の一つ本隆寺。1488(長享2)年に日真大和尚によって開創された、法華宗(真門流)の総本山である。もとは現在の四条大宮にあった本隆寺は、1542(天文11)年に現在の地を得て再建され、以後450年余の歴史をこの地に刻んでいる。
この本隆寺、江戸時代の2度にわたる洛中の大火にも、奇跡的に焼失を免れ、別名を「不焼寺」(焼けずの寺)ともいわれている。
1730年(享保15)の大火、「西陣焼け」。6月20日午後2時頃、上立売室町、大文字屋五兵衛宅台所から出た火は一瞬の間に西陣一体に広がり、室町通以西、北野天満宮以東、一条通以北、廬山寺通以南の西陣を焼き尽くす。西陣一帯は、三千数百軒 が被災し、3万機余りの織り機を失い、壊滅的な打撃を受けることとなった。
その後西陣が再興の道を歩んでいた1788(天明8)年「天明の大火」が発生する。二条城の本丸が炎上し、京都御所までもが被害を受けたこの大火にあっても、本隆寺本堂・祖師堂・宝庫は奇跡的に焼失を免れたのである。以来、本堂に祀られている鬼子母神像は「火伏せの鬼子母神」といわれ、本堂南東角には「不焼寺止跡」の石碑も残っている。
写真は、そんな本隆寺境内を四方に取り囲む、土壁。本堂の瓦の葺き替えの際 に、古瓦を土壁に埋め込みながらリズムのあるデザインを施し、再利用している。よく見ると、四周ともデザインが異なり、西側の瓦壁のデザインは比較的整然としている。ブロック塀で囲まれた、現在の住宅事情。環境問題が声高に唱えられている今、もう一度真剣に考え直す必要があるのではないだろうか。
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