毎日新聞 2008年08月01日号


きょうと空間創生術きょうと空間創生術
 

踊り場は舞いの舞台

 現在では、広く一般的に使用されている階段の踊り場空間。直訳すると、「Dance Space」ともいえるこの空間は、英語では「Middle Floor」と訳されている。いわば中間階といったところであろうか。踊り場が、日本で使用されるようになった歴史は以外に新しく、明治時代まで階段といえば、池田屋騒動の階段落ちでイメージされる鉄砲階段という一直線の階段か、もしくは梯子段と呼ばれる梯子のような階段が一般的であり、現在のような踊り場は存在しなかったので ある。

  踊り場は舞いの舞台実は、江戸時代においては一般住宅では本二階建てと呼ばれる、1階と同じ階高をもつ建物の建造は禁止されていた。例外的に認められていたのが、1階を主に住居として使用し、二階で接客を行うお茶屋さんであった。お茶屋さんの急な階段を上りきった場所には、現在でも「踊り場」の語源となった板貼の空間が存在する。

 写真は前回も紹介した、京都北野上七軒「弓月」の2階踊り場空間。黒く磨き上げられた3帖ほどの板の間は、部屋の中央に配され、客席エリアからよく見える下座のスペースに、舞いの舞台が用意されている。

 明治時代以降、西洋建築様式の伝来と共に、現在見られるような踊り場付きの折れ階段は普及していく。当初は鹿鳴館のような社交場から、踊り場付きの階段ははじまり、貴婦人がドレスを着飾り踊り場で方向転換する様子は、まさに踊りを踊っているようだったともいわれている。その後、昭和30年代に入ると、一般住宅にも踊り場が普及していくのであるが、もはやそこには踊りを踊る空間は存在しない。

普段、気にすることもない階段の踊り場空間。忘れ去られた、小さな空間を今一度見直し、華やかで夢のある生活の舞台へと回帰させていくのも、私たち建築家の仕事ではないだろうかと思うのである。

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