毎日新聞 2008年06月06日号


きょうと空間創生術きょうと空間創生術

  二寧坂から一念坂へ

 京都清水にある産寧坂(三年坂)の石段を下りていくと、やがて左にカーブを描 く。その先を右に折れるように、急な石段の坂道が北へ下り、高台寺の門前に達 している。この坂を二寧坂(二年坂)といい、ともに京都市の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。名前の由来には、大同2年(807)年にこの坂が整備されたという説や、産寧坂の下にあるから二寧坂と呼ぶようになったという説がある。

  大正時代に市電軌道の石畳を活用して、再整備されたこの坂の一角には、独特可憐な美人画で有名な、大正ロマンを代表する画家「竹久夢二」の居がかつてあった。波乱の人生を送った竹久夢二が運命の恋人彦乃の到着を待ちわびて、こ の坂に移り住んだのは大正6年(1917)2月のこと。彦乃の父親に猛反対を受けたていた二人は互いを「山」「川」と隠語で呼び合いながら人目を忍ぶ逢瀬を重 ねる。しかしながら、同年6月に京都へ到着した彦乃との夢のような生活は一年 足らずで終わりを告げた。彦乃は結核を患い、そのまま23歳で帰らぬひととなるのである。竹久夢二35歳のことであった。2人が好んで通った甘党の店「かさぎ屋」は今も石碑「竹久夢二寓居跡」の隣にあり、店内には夢二の山水色紙も飾られている。
 
 写真は、先日改修した、黒豆菓子処「うちわや」。飾窓という木製のショーケースが特徴的なこの町屋は大正時代に流行した本二階建て町家飾窓付店舗様式。錆びたトタンで囲われていた外観は京壁と腰下見板で再構成。うちわをモ チーフにした店内は京の伝統色を用いて華麗にディスプレイが施されている。

  実はあまり知られていないが、二寧坂の奥には一念坂というねねの道へとつながる、全長100mほどの短い路地がある。坂というほどの勾配はないものの、石畳が美しい風情のある小径である。清水寺から産寧坂を経て二寧坂・一念坂へ。その先は石塀小路とつながり、八坂神社へと続いていく。大正空間のシークエンス ともいうべき坂道が東山には存在するのである。


 
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