毎日新聞 2007年12月21日号


 
 
変わりゆく堀川の流れ
 
 京都市内の中心部を流れる堀川。私がこの川に興味を持ち始めたのは、今から25年前のことである。中学1年生の私は、自由研究の課題に堀川を選び、自転車で川沿いを走り、フィルムで変わりゆくその姿を記録していた。当時、堀川通の拡幅のため、五条通から御池通までの堀川を暗渠化する工事の最中であり、御池以北の堀川も、川床をコンクリートで埋める工事がなされていたのを、鮮明に覚えている。

  そのころは既に、賀茂川紫明付近にあった堀川の取水口は閉ざされており、合流式の下水道として、雨天時に近隣の雨水を集めて流れるだけの河川となっていた。また時々、色の付いた水が流れることもあり、西陣地域の染織工場の排水を流すための下水としても使用されていたようだ。当時、お年寄りからは堀川に降りてうなぎを採って食べた話や、友禅染の反物を洗い流したという古きよき時代の堀川の姿を聞くことができた。また明治時代までは堀川での水運も盛んだったため、材木商や金物商が三条あたりを中心に軒を連ねていた。 二条城近辺の堀川は城郭の外堀としても活用され、二条近辺には築城当時の組積がそのまま残っているのも興味深い。

  あれから25年。コンクリートで底打ちされた川床が今、はがされはじめている。京都市の進める「堀川水辺環境整備事業」。琵琶湖疏水分線から水を引き、賀茂川をサイフォンでくぐらせ、堀川に清流を復活させる。同時に、一条戻り橋〜下長者町橋間の川床を市民のための親水空間として再整備し、水と緑を感じられる憩いのスペースとして提供される予定だ。今出川以北の堀川中央分離帯もビオトープ(生物生息空間)を意識した親水空間“せせらぎ公園”として整備されている。

世相を背景に「変わりゆく堀川の流れ」。25年前の工事風景を思い出すと、複雑な心境になる。
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