毎日新聞 2007年12月07日号


 
「市松文様」が彩る時空間
 
 日本の伝統模様のひとつとして広く知られている「市松文様」。その歴史は以外に新しく、江戸時代中期の徳川吉宗の時代といわれている。当時、江戸中村座で演じられていた歌舞伎「心中万年草」において、現在の「市松人形」のモデルとされる佐野川市松が白と紺の正方形を交互に配した袴を履いて、女形を演じたたことから人気を博し、当時の女性達の間で小袖の柄として大流行したのがその起源とされている。

 江戸時代の歌舞伎役者は現在でいうところの人気タレントであり、流行を創り出すことは、一種のステイタスであった。江戸時代以前からも、「石畳文様」や「霰(あられ)」という有職文様(貴族の間で使用された、位階や官職の規定によって定められた模様)といった方形を組み合わせた幾何学的模様は存在したのであるが、広く一般的に知られ、庶民の模様として知られるようになったのは「市松文」以降であるとされている。

 「市松文様」を使用した代表的な空間として、桂離宮の茶室「松琴亭」があげられる。一の間にある床の間と襖には、青と白の大胆な市松文様によるデザインが施されている。加賀奉書という白紙と藍染紙によるこの市松模様は、桂離宮の斬新なデザインの代表格として、茅葺屋根の素朴な茶室空間に彩りを添えている。

 写真は先日オープンした美容室「One Quarter.One」。和の伝統色である紅殻色を基調とした上質なシャンプー空間に、市松文様を現代的にアレンジした木製パーテーションを設置。亜麻色との幾何学的なデザインがインテリアに彩りを添えるとともに、カットスペースとの間を有機的に区切る仕掛けとして機能している。間接光と自然光を効果的にとりいれたサロンスペースは女性達のための”癒し”の時空間として提案されている。

 女性に人気のあった市松文様という、古来の伝統模様を探求し、”粋”に遊んでみる。我が国で育まれた、独自の多彩な美意識は、案外そうした遊びの積み重ねなのかもしれない。
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