毎日新聞 2007年08月10日号 |
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「彰栄館の鐘の音」 ![]() 煉瓦積の外壁は「イギリス積」をアレンジした、長手積み4段、小口積み1段を繰り返すいわゆる「アメリカ積」で積まれており、ランセット・アーチ(尖頭アーチ)と白い花崗岩のコーナー・ストーンがアメリカンゴシックの特徴をよくあらわしている。実はこの彰栄館、現在は南(写真左手)を玄関のようにして建っているように見えるのであるが、もともとは、東側(写真右手)が正面玄関であると考えられる。内部の空間構成を解析すると、その正面性はより顕著となる。1951年の新彰栄館増築に伴い、シンメトリー(左右対称形)であったファサード(正面外観)構成が崩れてしまい、現在の南玄関風外観を形成するに至った。 時計台の部分には、明治20年(1887)セス・トーマス社製の大時計が4面に据えられ、一刻も休まず時を刻み続けている。また、毎朝の礼拝を告げる鐘の音も、同じく決まった時刻に、120年間、今日までとぎれることなく人の手により鳴らされ続けている。明治時代、その鐘の音は現在のJR京都駅付近まで聞こえたといい、雨の日でも戦争中も、どんなときでも同志社生徒の手により、突かれ続けてきた。鐘を鳴らす生徒は司鐘生(通称:ベルマン)と呼ばれ、休日でも毎朝7:50には鐘を鳴らし、学内公募の生徒が大役を務めている。そんなベルマンにまつわる逸話が、同志社七不思議のひとつとして、いまも語り継がれている。その年の鐘つき役に選ばれた学生が重病にかかりどうしても鐘を突くことができない。代役の学生が鐘を打とうとしたときに鐘がひとりでに鳴り出した。同時に重病中の学生は天に召されたというもの。彰栄の鐘を見るたび、そんな話を思い出すのである。 |
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