毎日新聞 2007年06月29日号 |
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「波間に浮かぶ千鳥の引き手」 ![]() 私たちが普段なにげなく使用している「ふすま」。その起源を調べてみると、古くは平安時代の寝殿造りにまでさかのぼる。板敷きの大広間に、間仕切りのない解放的な空間が特徴の寝殿造りでは、人々は、日常生活の都合や、季節の変化年中行事の儀礼に応じて、都度、几帳や衝立などで視線を遮る程度に内部を間仕切って使用していた。ところが、やがて襖障子とよばれる衝立と同じつくりのパネルを柱間にはめ込むようになり、ついで出入り口を引き違い戸とするようになった。これが、現在の「ふすま」の原型である。 紫式部が書いた「源氏物語」には、引き違いの襖障子がありふれた情景として描かれており、平安中期には既に、貴族や上流階級の邸宅には「ふすま」がかなり普及していたことがうかがえる。その後の、鎌倉時代における主殿造りと呼ばれる武士の住宅になると、屋内の間仕切りは先ほどの襖障子というパネルから、「ふすま」が主流となり、4枚建てのふすまも考案されるようになった。以降、ふすまは屋内を遮る装置でありながら、取り外せば、一体の空間にもなるという、日本特有の空間を構成する、重要な要素へとなっていく。 このような、開放性の高い住居空間で各個人がプライベートな生活を営むには、互いのルールが必要となる。日本人独特の気配りや、しきたり・礼節といった生活ルールが自然的に発生し、精神的な美意識が形成されていく土壌はここにある。 写真は、京金物を使用した、和食料理店の襖の引き手。襖紙を赤い波に見立て、波間にうかぶように千鳥の引き手を選定した。本体は良く磨いた銅を、松の鉋屑を燃やした煙でいぶし、煙の中のすすとヤニを丹念に付着させた赤銅製。仕上には、透漆を用い、深みのある独特の黒い光沢をもつ。引き手に指を掛けた瞬間に感じるひんやりとした心地よさは、本物の持つ魅力。プラスチック製やメッキの引き手からは想像もできない。錺師(かざりし)による、京金物の手仕事は、今の時代もなお、時をこえて受け継がれている。 |
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