毎日新聞 2007年03月09日号



「大黒町はいくつある」

 写真は上京区浄福寺通上立売を上がったところにある、西陣・大黒町の石畳の風景。この場所には明治時代の終わり頃まで「岩神座」という芝居小屋があり、そこでは上七軒歌舞会の舞踊公演である北野をどりや歌舞伎・狂言が演じられていた。当時は、祇園南座と肩を並べるほどの芝居小屋であり、新派演劇の拠点として京都の人々に親しまれていたそうである。そんな西陣の中心として大変な賑わいをみせていたこの場所は、今も、西陣織を生業とする人々が多く住み、往時の面影を色濃く残している。石畳に彩られた街路にそって、町屋が建ち並び、レトロな照明や看板が独特の街並みを形成している。

大黒町に石畳が敷設され、電線が地中埋設化されたのは今から、6年前。西陣の市民団体や織物組合など、地元からの熱い要望により、京都市が手をさしのべた。石畳の敷設前日、近所の子供たちを集めて、アスファルト舗装の道路一面に鮮やかな思い思いの落書きを描いたイベントは、今でも楽しい思い出である。

  そんな西陣・大黒町の他に大黒町があると知ったのは、ふとした出来事からであった。東山区の大黒町通にある路地を再生してほしいとの話が持ち上がったのである。この路地には、合計11件の長屋が建ち並び、瓦は割れ、格子は腐り、今にも風化しそうなほどその痛み具合は激しく、ほとんどが空き家となって放置されていた。そんな路地奥の長屋を市と国の協力を受けながら、改修工事を行い、市民団体の協力も得て、若者たちが居住する、笑いが溢れる明るい路地へと再生させた。聞けば、この大黒町は寿延寺に大黒天がまつられていたのが、通り名の由来であり、古くから扇作りや金属加工などの職人たちが数多く住んでいた通りであるという。

 他にも大黒町があるのだと思っていた矢先、名刺を交換した方の住所が、南区大宮通八条上ル大黒町。こうなると、気になって仕方がない。調べてみると、中京区には釜座夷川下ルと河原町三条下ルに大黒町が2つ。下京区御幸町仏光寺にも大黒町。伏見区には京町・大黒町と三栖・大黒町が。右手に打出の小槌を持ち、大きな福袋を担いだ姿の大黒さん。五穀豊穣の神として、市民の暮らしに深く根付いている。
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