毎日新聞 2006年8月18日号



鍾馗さまの微笑む街並み

 京町家をよくみてみると、通りに面して、一階の屋根(下屋)の上に、なにやら閻魔大王のミニチュアのような瓦製の人形を見かけることがある。丁寧に祠の中に鎮座しているものもあれば、柱にくくりつけられているものもある。この置物、実は「鍾馗」と呼ばれる、魔よけの神様なのである。右手に破魔の剣を持ち、左手に八苦を抑えて、怖い表情で周囲をにらむ「鍾馗」さま。古代中国の実在の人物をそのモデルにしている。

 唐の時代、終南山という地に鍾馗という青年がすんでいた。彼は官僚試験をトップで合格し「状元」という称号を得る。ところが、髭面で大男の鍾馗は謁見した玄宗皇帝に大変怖がられる。絶望のあまり、鍾馗は自殺。しかしその後、皇帝はマラリアにかかり、病の床に伏してしまう。高熱にうなされる中で、楊貴妃の宝物を盗もうとした悪鬼を大鬼が退治する夢をみる。夢の中で皇帝が大鬼の名を尋ねると自分はあの「鍾馗」だという。聞けば、自分は絶望して自殺をしたが、手厚く葬られたので天下国家の災いを除くことに執心しようと誓ったということ。夢から覚めた皇帝は不思議と病気が全快し、以降「鍾馗」は神として祀られることになった。

 そんな「鍾馗」信仰が日本に伝わったのは、道教や儒教が浸透し始めた、文化2(1805)年のこと。京都三条の薬屋が家の棟に大きな鬼瓦を付けたところ、向かいの医者の娘が原因不明の病に伏した。いろいろ薬を飲ませたが効き目がなく、陰陽師の指導で、鬼瓦の邪気を跳ね返す睨みがえしとして、「鍾馗」を家の正面に安置したところ、たちまち平癒したという。以降、市民の間に鍾馗信仰が広がり、病気平癒・魔除・家内安全の神として、祀られるようになった。

 写真は、市内の「鍾馗」さんの写真。毎日、町家の屋根の上で雨風にもまけず、両足を踏ん張る怖い顔の「鍾馗」さま。普段、あまり目に留まることはないかもしれないが、本当は頭のいい優しい人だったのである。今日も「鍾馗」さまの微笑みが、私達の暮らしを大切に見守っている。
Publishedへ