毎日新聞 2006年7月7日号



路地空間に夢をみる

日頃、京都の人々が「ろうじ」と呼んで親しんでいる路地空間。その発生は、室町時代にまでさかのぼる。応仁の乱で焼け野原となった平安京。乱後、再開発を手掛けた秀吉は、それまでの平安京条坊制を改め、1区画を間口7・5間(13・6b)奥行15間(27・3b)の区画に細分化した都市計画を再編した。しかしながら、約110坪という大きさのこの区画。公家や寺院なら余すところなく利用できたであろうが、町衆には大きすぎた。そこで、短冊状の空間を有効利用するために中央に小道を設け、その小道に面して取り囲むように町衆は暮らし始めた。その小道が現在、路地として伝えられている。市内のあちこちで、今なお残る路地の風景。巾1間ほどの狭い、行き止まりの通路には、町衆の暮らしが息づいている。ご近所へのおすそ分けや井戸端会議、昔はどこにでも見られた懐かしい風景である。路地は地域コミニティの場として機能し、さまざまな人間模様を映し出す装置となっていた。

写真は、上京区紋屋町三上家の路地空間。軒の距離感や通路とのバランスが洗練された造形美を生み出している。その美しい空間のプロポーションは、パリのシャンゼリゼ大通りと対比されるほど、有名なシークエンスを構成する。かつて、紋織りの職人たちが軒を連ねて、暮らしていたそんな路地空間は、現在、写真家や陶芸家といった、若いアーティストたちが移り住む芸術活動の場として脚光を浴びている。ニューヨークのアーティストとの交流も盛んに行われ、個展も開催されている。打ち水のされた石畳に一歩足を踏み入れれば、そこには、長く職人が暮らし、ものづくりをした長屋が立ち並ぶ。そこでは今日も、思い思いの夢を持った、若きアーティストが、格子越しに親近感をもって迎えてくれる。今の時代、忘れかけれている地域コミニティがここには存在する。そして、若者たちの夢と未来と可能性もまた、この空間には秘められている。
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