CompanyRe-SpaceStyle-LifeStyle StoreWorksPublishedContact UsClient's commentQ&A
2010/10/22(Fri) 18:31:58

「祈りを捧げたあの日」

thapel.JPG



















旧薩摩藩邸跡にある同志社今出川キャンパスには、
5つの重要文化財を含む多くの赤煉瓦建築が現存する。

明治17年(1884)に建設された彰栄館を最初として、
次に建設されたのが、同志社礼拝堂である。

明治19年(1886)竣工のこの礼拝堂は、通称「チャペル」と呼ばれ、
同志社の歴史とキリスト教精神を象徴する建物として親しまれている。

設計は先の彰栄館と同じく、当時、宣教師でもあったD・Cグリーン。

鉄板葺き煉瓦造りのこのチャペルは、
飾り気のない「アメリカン・ゴシック」スタイルの美しい建物である。

あっさりとした、ゴシックデザインはプロテスタント系の礼拝堂にふさわしく
簡素な意匠構成となっている。

煉瓦積みの外壁は、「イギリス積」をアレンジした、
長手積み3段、小口積み1段を繰り返すいわゆる「アメリカ積」で積まれている。

先の彰栄館が長手積み4段であるのに比べて、
強度的にも強い3段で組まれていることは個人的にも興味深い。

中学時代の3年間、毎朝、賛美歌を歌いながら、
聖書を一緒に読んだあの思い出は、今でも鮮明に覚えている。

色とりどりの木製ステンドグラスからは、赤・橙・青・緑などの柔らかな光が差し込み、
パイプオルガンの荘厳な音色と共に穏やかなひとときを過ごした。

礼拝堂内部は、プロテスタントの教会にふさわしくシンプルな単身廊で構成され、
露出された小屋組の部材が美しかった。

建築の勉強をしてからは、
この小屋組は鋏小屋組という洋風建築の技術の一種であることを知ることとなる。

ともあれ、独特の甘酸っぱい香りのするチャペルの中で、
祈りを捧げたあの日の思い出は、今の私の人間形成に大きく役立っており、
感謝すべき美しい思い出なのである。


2010/10/22(Fri) 18:31:58 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(37)
2010/10/08(Fri) 10:18:37

「堀川京極と下駄履き住宅」

P1000756.JPG



















京都市上京区にある堀川商店街。

現在、堀川通りの西側に上長者町通りから下立売通りまでアーケードがあるこの商店街一帯は、昭和初期まで「堀川京極」と呼ばれた300件以上の商店が軒を連ねる大きな繁華街の一画であった。

鉄骨アーチの全蓋テントと電気照明に私費舗装を備え、東の「新京極」とならぶ市内有数の繁華街・歓楽街として栄えていた。

2件の映画館と3件の銀行・2件の市場を中心に、さまざまな種類の商店・飲食店が建ち並び、活気あふれるその姿はさながら不夜城のようであったといわれている。

現在のように、堀川通りが大きな道巾となったのは、第二次世界大戦末期の昭和20年春のことである。

空襲による延焼を防ぐ目的で京都府により強制疎開が実施され、御池通・五条通とともに学徒動員による道路拡幅工事が実施されたのである。

繁栄を極めた「堀川京極」もわずか数日にしてその姿を消すこととなるのである。

そんな堀川商店街の中核には、現在、通称「堀川団地」と呼ばれる、6棟の鉄筋コンクリート造の店舗付き集合住宅がある。

戦後、強制疎開によって、家や商店を失った元の住人のために、京都府住宅協会(現京都府住宅供給公社)が昭和25年から28年にかけて建設した、3階建ての公営住宅である。

広い廊下と庭のついた近代的な団地は日本で初めての「下駄履き住宅」(1階が商店・事務所等、その上層階が住居となっている住宅)ということもあり、当時、全国から多数の見学者が訪れたそうである。

あれから、約60年。近代的であった、総戸数160戸の「下駄履き住宅」も老朽化がすすみ、その活用が議論されはじめている。

これからの京都にとって、ふさわしい空間創生であってほしいと願うものである。


2010/10/08(Fri) 10:18:37 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(38)

トップページ

プロフィール

image
野村 正樹

バックナンバー

最近の投稿

Link

Search