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2010/07/30(Fri) 11:20:12

「流れづくりの流線美」

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古来より淀川・鴨川の水源の地・水の神様として崇敬を集める、京都市左京区の貴船神社。現在もなお、全国の料理業や調理業・水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

貴船神社の歴史は古く、その創建は今から約1600年前。仁徳天皇の第三皇子、第18代 反正天皇(406年〜410年)の御代であると伝えられている。

日本後紀には、平安初期の延暦15年(796年)、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、対岸にある鞍馬山に鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されており、その当時すでに貴船の神は大きな影響を及ぼしていたものと考えられる。

水の供給を司る神、高?神(たかおかみのかみ)を祀るこの神社は、古来より祈雨の社としても信仰をされている。平安遷都後は、日照りや長雨がつづいた時に、また国家有事の際には国の重要な神社として必ず勅使が差し向けらることとなる。

「雨乞い」には黒馬を、「雨止み」には白馬又は赤馬をその都度献じ、祈念がこめられたのであるが、度重なる御祈願のため、時には生き馬に換えて馬形の板に色をつけた「板立馬」を奉納したようである。これが、現在の「絵馬」の原型であるといわれており、室町時代以降は馬以外に様々な動物が描かれるようになっていく。

写真は、貴船神社の社殿。銅板葺きが美しい本殿は、平安初期に成立したと考えられる神社本殿形式のひとつである”流れづくり”。切妻造り・平入りに緩やかな反りを持つ独特の屋根をあわせた形態は、風格のある流線美を形成している。

建築と万物の命の源である「水」の関係を考える良い機会に恵まれた。


2010/07/30(Fri) 11:20:12 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(36)
2010/07/16(Fri) 11:16:10

「美しい史跡「水路閣」」

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1869年(明治2年)の東京遷都以来、経済も人口も衰退していく京都において,その活力を呼びもどすため、第3代京都府知事 北垣国道の発意により始められた琵琶湖疏水事業。

1885年(明治18年)に起工されたこの事業は、当時125万6000円というの巨額の工事費をかけ、1890年(明治23年)に完成した。着工当時の国家予算が約7000万円であった事を考えると、その工事費は現在の貨幣価値に換算して、約1兆6500億円ということになる。

写真は、南禅寺境内にある「水路閣」。煉瓦造・アーチ構造の優れたデザインが特徴的なこの水路橋は、近代化遺産として国の史跡にも指定されている。

毎秒2トンもの水が流れる「水路閣」の延長は93.17m、幅4.06mもあり、この部分に要した工事費は全体の1%を上回る1万4627円にも及ぶものであった。

現在でこそ、その美しいデザインは京都の代表的な景観として観光客に親しまれている「水路閣」ではあるが、建設当時は京都の景観にはそぐわないといわれていた。

福沢諭吉も「京都は近代都市ではなく、奈良と同じく古都として観光化していくスタイルが望ましい」「景観として不適切」であるとの考えであった。ローマの水道橋を模した美術品のようなデザインは弱冠23歳の青年技師であった田邊朔郎による設計。

あれから、120年の時が過ぎ、煉瓦の醸し出す雰囲気ときれいに浮かび上がるアーチの姿はいまや南禅寺にはなくてはならない存在となっている。

この琵琶湖疎水が完成した結果、京都には日本初の水力発電所ができ、東京よりも先に街灯にはアーク灯が点りはじめる。さらに明治28年には日本初の電車である京都市電が開通することとなるのである。

1100年の古都・京都。最先端の技術がここにあった事を思い出す美しい史跡「水路閣」である。


2010/07/16(Fri) 11:16:10 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(37)
2010/07/14(Wed) 18:13:54

「水の神様 貴布禰総本宮 貴船神社へ」

古来より、淀川・鴨川の水源の地・水の神様として崇敬を集める、
京都市左京区の貴船神社へ。

貴船神社の歴史は古く、その創建は今から約1600年前。
第18代 反正天皇の御代であると伝えられています。

延暦15年(796) 対岸鞍馬山の鞍馬寺の建立は、藤原伊勢人が
貴船明神の夢のお告げで建立したとありますから、その歴史は相当なものです。

平安遷都後は、国の重要な神社であり,
ことあるごとに勅使が差し向けられました。

日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて
「雨乞い」「雨止み」の祈願がされていたそうです。

流れづくり・銅板葺きの本殿は、他の神社とは違う独特の流線美。

折柄の豪雨で、川床で有名な貴船の川も氾濫寸前でしたが、
邪気を水に流していただいたような気がして、なぜかすがすがしい気分になりました!


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2010/07/14(Wed) 18:13:54 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(37)
2010/07/11(Sun) 18:10:04

「最先端の鉄筋校舎」


明治2年(1869)に「上京第十七番組小学校」として、開校した「(旧)待賢小学校」へ。

慶応3年(1867)までは、京都所司代(今でいう、京都府警本部?)があった場所です。

現在、保存されている校舎は昭和13年(1938)12月竣工の鉄筋コンクリート造三階建。

当時としては最新式の暖房装置、水洗式便所、水場各階、
ガス湯呑場等が備え付けてある最先端の鉄筋校舎。

広い運動場といえば待賢校。なんといっても京都所司代跡 2000坪ですからネ!
100mの直線コースは、私たち小学生のあこがれの運動場でした。

残念ながら、平成9年の小学校統廃合により、現在は使用されていませんが、
うまく保存活用を図っていきたいものです。

たまたま休日のボランティア活動で、訪れたのですが、
私たちの育った小学校に雰囲気も近く、ノスタルジックなひとときを過ごしておりました。

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2010/07/11(Sun) 18:10:04 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(36)
2010/07/03(Sat) 18:07:57

「東洋と西洋の出会いの町マカオ」


週末の休日を利用して、友人と2泊3日のプチ海外旅行。

近年、めざましい発展を続けている、世界遺産の町マカオへ。

22の歴史的建造物と8カ所の広場がユネスコの世界文化遺産に登録されています。

約450年の長きにわたり、マカオでは中国とポルトガルの両国民が相互の生活様式や価値観を認め合い、文化を融合・共有してきました。

まさに東洋と西洋が出会い、独自の文化を育んできた「澳門」(マカオ)。

建築物・史跡など有形のものに限らず、様式、宗教的寛容さ、食文化など多くの無形文化が街とともに共存するその姿は、街全体が歴史・文化の博物館なのです。

記念写真は、「聖ポール天主堂跡」。
教会の前面だけが残る石造りのファサード。

小高い丘にそびえ立つその姿はまさに荘厳。
完成当時「ローマ以東でもっとも傑出した教会」と言われていたほどの
教会前で、はいポーズ。


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2010/07/03(Sat) 18:07:57 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(36)
2010/07/02(Fri) 18:06:51

「石塀小路の町家はなぜ高台に!?」


祇園の奥座敷として、また最近は観光スポットとしても注目を集めている、
京都東山「石塀小路」。

美しい石塀が立ち並ぶこの路地空間は、京都空間創生術40でも紹介したとおり、
国の重要伝統的建造物保存地区にも指定され、その保存活用が図られている。

先日そんな「石塀小路」の石塀を調査する機会に恵まれた。
石畳の街路に沿って整然と積まれた石塀は大別して、方形の石材を積み上げて築造された下半分の”石垣”部分と、自然石を使用して築造された上半分の”石塀”部分とに分けられている。

この石垣部分で形成された下半分の高台の上に風情ある町家が建設され、
急な階段で玄関にアプローチする計画となっている。

なぜ、わざわざ使いにくい高台の上に町家を建造するのか?
測量助手であったアメリカ人研修生は素朴な疑問を私に投げかけた。

石塀小路の歴史は以外に新しく、現在のようなかたちに整備されたのは、明治末期から大正時代にかけてのことである。もともとこのあたり一帯は、圓徳院の庭園であっが、それを、明治時代になって当時製茶販売で富をなした上村恒次郎が譲り受け、賃貸用の分譲宅地として整備を進めたのが、現在の石塀小路の始まりである。

ではどうして、一段高い場所に宅地を計画したのであろうか。

現在は暗渠となっている東山から流れる菊渓(きくたに)川。
この菊渓川は暴れ川として有名であり、雨季になると鉄砲水を周辺に見舞っていた。
現在残る下河原の地名はその名残である。
上村はもともとあった土地の傾斜を利用しながら、石垣を積み洪水への備えとしたのである。

目線に近い高さまで積み上げられた石塀は、
適度なプライバシーを保ちながら美しい景観を形成している。

防災対策と風情ある町並みを両立させた先人達の智恵を私たちも継承していきたいものである

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2010/07/02(Fri) 18:06:51 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(35)

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