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2009/07/31(Fri) 11:30:42

「蚕の社の三柱鳥居」

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京都市右京区に位置する、「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」。別名を「蚕の社(かいこのやしろ)」とも呼ばれ、京福電鉄の駅名にもなっている。この神社は飛鳥時代に創建された古社とされ、境内には、古代、様々な先進技術と共に、養蚕技術を日本に持ち込んだ秦氏ゆかりの「養蚕神社(蚕の社)」が東本殿として祀られていて、現在でも製糸業者の信仰を集めている。
そんな神社の一角には「元糺の森」があり、現在、「下鴨神社」にある「糺の森」の名称は嵯峨天皇の時代にここから下鴨の地に遷されたともいわれている。大和朝廷の名門豪族であった賀茂氏と秦氏は、姻戚関係にもあり当時の親密さを物語っている。写真は 境内の「元糺の池」にある「三柱鳥居(みはしらとりい)」。明神鳥居を正三角形に三本組み合わせた石鳥居は、京都3大鳥居のひとつとされ、三方から拝むことのできる特徴的な形を形成している。
この三柱鳥居はきちんと真北を向くように配置され、その中心から真北方向への延長線には秦氏首長級の古墳であるとされている「双ケ岡」に到達する。興味深いのは、真北から左回りに正三角形120度軸線をずらして延長していくと、西南方向には秦氏氏神の「松尾大社」があり対角の東北方向には賀茂氏氏神「下鴨神社」更に比叡山頂がぴたりと当てはまる。また不思議なことに、同様に西北方向には愛宕山山頂、東南方向には「醍醐寺」があり、単なる偶然ではないことが推察される。祭神が違う「下鴨神社」「松尾大社」「蚕の社」の神紋も共に「二葉葵」であることも大変興味深い。
古代ロマンに思いを馳せながら、京都を再発見するのも空間創生の楽しみである。


2009/07/31(Fri) 11:30:42 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(38)
2009/07/17(Fri) 11:24:07

「三条通りのセセッション様式」

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現在では、当たり前となっている銀行の「定期預金」。戦前の貯蓄銀行では据置貯金とよばれ、満期日や据置期間を設定し、期間中払戻をしない変わりに、普通預金よりも高い利率が付与されるのが特徴である。この制度を考案したのが、かつて、日本の貯金王といわれた牧野元次郎であり、1900年(明治33年)に設立した「不動貯金銀行」は、その後の昭和10年代には、他の五大銀行(第一・三井・住友・安田・三菱)と肩を並べるまで発展することとなった。戦後、「不動貯金銀行」は、改称や合併によりかたちを変えて、日本貯蓄銀行・協和銀行・協和埼玉銀行・あさひ銀行となり、現在ではりそな銀行となっている。
そんな「不動貯金銀行」の旧三条支店は、現在も、複合商業施設のビル「SACRAビル」としてリニューアルされ、大切に使用されている。鉄筋コンクリート造のようなこの建物は、実は木骨煉瓦造 地上3階地下1階建の建物であり、1915(大正4)年の暮れに竣工した。明治時代、近代化に成功した京都。第一次世界大戦の特需景気に湧く大正時代は、まちの風景も更にモダンな姿に変わりゆく時代でもあった。建物正面は大正初期に日本で流行し、過去の様式に捉われない新しいデザインを目指した「セセッション」と呼ばれるスタイル。ルネッサンス風の外観意匠に正面中央の円形装飾や1階部分の縞模様等、細かな幾何学的装飾を施したデザインは、まさに大正モダンの先駆けともいえる斬新な構成である。
1988年(昭和63年)の改装により、市民に近代洋風建築が注目されるきっかけともなった、「SACRAビル(旧不動貯金銀行三条支店)」。同じ三条界隈の「京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)」や「新風館(旧京都中央電話局)」とともに近代建築の再生を象徴する建物である。


2009/07/17(Fri) 11:24:07 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(54)
2009/07/03(Fri) 13:08:18

「三条通のクィーン・アン様式」

P1250496-1.jpg三条通にあり、現在は「京都市文化博物館別館」として使用されている「旧日本銀行京都支店」。明治39年(1906)年に建造された、煉瓦造2階建スレート葺きの両翼に棟屋がついた美しい建物である。当初、日本銀行京都出張所は明治27年(1894)に東洞院通御池上るに開設されたのであるが、業務拡張により、この地に移転することとなった。以後、昭和40年(1986)に現在の河原町通二条に移転するまで、60年間にわたり、日本銀行京都支店として使用されていた。
その美しい外観は、三条通に面して左右対称に設計されており、赤煉瓦と白い花崗岩の横縞が見事な調和を見せる美しい意匠デザインは、19世紀後半のイギリスの建築によく使われたクィーン・アン様式(別名フリー・クラッシック)である。ビクトリアン王朝の中期にイギリスで生まれたクィーン・アン様式は、曲線を多用することでも知られ、優美で軽快なプロポーションでありながらも、落ちつきのある雰囲気が、町並みにうまく調和している。日本が近代化を目指した、明治時代。まず、建築様式において主流とされたのが、イギリス系の建築であり、設計者の辰野金吾自身も、ロンドンに留学しイギリスの影響を強く受けた人物であった。
「京都市文化博物館別館」では、先日、私たちの所属する(社)日本建築家協会近畿支部京都地域会が主催する建築家作品展が開催された。「受け継がれる建築の佇まい」〜地域の特性を生かして〜と題されたこの展示会には、延べ4日間の会期中1200名余の方に来訪いただき、普段私たちが考えている”建築”のありかたを展示させて頂いた。”時”とともに存在し続ける”建築”。”建築”を単なる形ではなく、大切なものとして捉え直したとき、そこに人々の幸せが見えてくると思うのである。


2009/07/03(Fri) 13:08:18 | コラム | Trackbacks(0) | Comments(1)

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